リバタリアンはパンデミックにどう対応するか?
というと、いかにも食い合わせが悪そうである。明日、世界が滅ぶとも自由を尊重せよという過激派はおそらくそんなにおらず、国防や警察の一環として公衆衛生を位置づける穏健な論者が多そうな感じ。
エボラ出血熱のときの議論をもとにざっと分けると、1)そこでの検疫や隔離は科学的エビデンスに基づいて最小限であるべき、ぐらいか、2)自由と公衆衛生を対立させる問題設定そのものが不適切であって、衛生は自由の条件である、みたいに論じる方向がある。1はたいした中身がないし、2は自由を実質化する邪悪なものである。こんな選択を迫られるときは問いの立て方が間違っているわけだが、さてどうすべきか。
続きを読む池袋 → 宇都宮の時刻表
まったく個人的なメモです。
池袋 → 宇都宮
0502(赤)0651 0539(赤)0729
0601(赤)0751 0611(大)0811 0635(赤)0818 0617(赤)0842
0708(赤)0858 0728(直)0914 0754(赤)0929 0759(赤)0951
0813(直)1000 0826(赤)1016 0849(赤)1035
0906(赤)1054 0914(直)1050 0944(赤)1135 0946(直)1128 0959(小)1145
1011(大)1220 1041(直)1214 1051(直)1235
1115(直)1248 1144(直)1328 1150(赤)1338
1214(直)1345 1217(大)1407 1245(直)1429
1315(直)1454 1317(赤)1516 1345(直)1527 1351(赤)1539
1415(直)1547 1417(赤)1608 1444(直)1629
1515(直)1647 1517(赤)1707 1544(直)1727
1615(直)1748 1630(赤)1820
1714(直)1844 1729(大)1925 1746(古)1941
1823(赤)1958 1844(古)2034
1923(大)2056 1933(赤)2126
2006(赤)2152 2032(大)2225 2045(赤)2243
2126(赤)2303 2130(直)2320 2153(赤)2343
2216(赤)2359 2236(赤)0029
2305(赤)0104 2334(赤)0125
8時に間に合うには: 0539(赤)0729、0622(新)0734、0601(赤)0751
8時半に間に合うには: 0611(大)0811 0635(赤)0818、0647(新)0803、0708(新)0821
1限に間に合うには: 0635(赤)0818、0617(赤)0842、0708(新)0821、0730(新)0830
2限に間に合うには: 0813(直)1000、0826(赤)1016、0855(新)1009
11時に間に合うには: 0849(赤)1035、0914(直)1050、0934(新)1049
13時に間に合うには: 1051(直)1235、1115(直)1248、1130(新)1239、1144(新)1249
15時に間に合うには: 1245(直)1429、1315(新)1426、1345(新)1449
A. ヴァーミュール(吉良貴之 訳)『リスクの立憲主義』(勁草書房、2019年12月)
エイドリアン・ヴァーミュール(吉良貴之 訳)『リスクの立憲主義』(勁草書房、2019年12月)という訳書が出版されました。 出版社ページで詳細目次を見ることができます。
分類としてはアメリカ憲法学の本ですが、憲法基礎理論・憲法思想史的な内容なので、もちろん法哲学を含め、いろんな分野の方に面白く読んでいただけるのではないかと思います。内容的には、権力の暴走に対する「予防」に偏りがちだったこれまでの立憲主義から、権力の最適なパフォーマンスを引き出すための権限配分=構成を目指すものとしての立憲主義を構想しています。その議論は現在の日本国憲法をめぐる議論にも多くの示唆を与えることでしょう。司法審査に消極的だったりして、やや保守的な議論が多いのは確かですが、単純に行政権への権力集中を説くようなものではありません。憲法をひとつのシステムとして捉え、意思決定論・組織管理論の視点でもって全体を見渡しながらリスク計算を行おう、という穏当な主張がなされています。
ヴァーミュール氏の紹介と、本書のおおまかな内容、そして若干の問題提起を書いた訳者あとがきが勁草書房サイトで公開されています。ぜひご覧ください。
ジュンク堂書店池袋本店では、井上達夫先生の『立憲主義という企て』(東京大学出版会、2019年)と隣に並べていただいておりました。指導の先生の本の隣というのも感慨深いものがありますね。
イドリース「肉の家」
中東政治研究の池内恵先生がツイッターで、ユースフ・イドリース「肉の家」という小説を紹介されていた(Yusuf Idris, Bait min Lahm, 1971)。イドリースは現代エジプトを代表する作家である。翻訳が入っているのはこちらの『集英社ギャラリー 世界の文学 (20) 中国・アジア・アフリカ』(集英社、1991年)ぐらいのようなので、とりあえず購入してみた。魯迅やクッツェーのような有名な作家の代表作から、現代朝鮮の多様な作家のものまで、いろいろ収録されていてお得である(「中国・アジア・アフリカ」なんて詰め込めすぎだが、それはそれとして)。
それで「肉の家」を読んでみたのだが、わりあい面白かったので以下に感想を書いてみる。なお、池内先生が紹介されていた文脈とはズレがあるように思ったし、他の方への批判的内容も含まれているのでツイートへのリンクは貼らない。
集英社ギャラリー 世界の文学 (20) 中国・アジア・アフリカ 明文・ほか/狂人日記、阿Q正伝・ほか/憩園/寒い夜/子夜/夷狄を待ちながら/マルグディに来た虎/黒い警官・ほか/花婿・ほか
- 作者: 金東仁,魯迅,巴金,茅盾,J・M・クッツエー,R・K・ナーラーヤン,Y・イドリース,マハフーズ,川村二郎,菅野昭正,篠田一士,原卓也
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1991/06/20
- メディア: 単行本
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ライプニッツ『モナドロジー』90節・試訳
岩波文庫の新訳『モナドロジー』の最終節、どうもしっくりこないので訳し直してみた。意志と因果と倫理、三位一体の予定調和を賛美せよ。
90. ついにこの完全な統治のもと、よい行いは必ず報われ、悪い行いは必ず罰せられる。すべてはよい人々のよい生へと落ち着く。よい人々は、この偉大な国にあって不満をもつこともなく、自分の義務を果たしたうえで神の摂理を信じ、万物の創造者たる神をしかるべく愛し、模倣する。愛すべき人々の幸福のうちによろこびを見出すような、真正で純粋なる愛の本性によって神の完全性に思いをはせ、称賛する。だから賢明で有徳な人々は、予定されている、つまり先立つ神の意志にかなうように思われるすべてのことに力を尽くすのだ。しかしまた、神の秘められた、それ自体が結果であって決定的であるような意志によって現実にもたらされることにも満足する。というのも、もし我々が世界の秩序を十分に理解したならば、その秩序は我々のうち最も賢い者のいかなる望みさえも凌駕しており、これ以上によく作り変えることなど不可能であると思い知るからである。これは全体について一般に不可能というだけでなく、万物の創造者との正しい関係を有する限り、個体としての我々各自もそうである。正しい関係とは、創造者を単に人間存在の製作者かつ動力因とみなすのではなく、我々の支配者かつ目的因とみなすものである。創造者は我々の意志にとって完全な目的であるべき存在、そして我々を幸福にしうる唯一の存在なのである。