一、映画史が排除した起源
映画には明確な起源があるらしい。一八九五年、フランスのリュミエール兄弟が初めて複数の観客に向けて動く映像の公開を行った。伝統的な映画史の記述はそこから始まる。それに先立つ一八九三年のトーマス・エジソンのキネトスコープ(一人で覗き込むもの)はまだしも、リュミエール兄弟よりも一ヶ月ほど早くベルリンで映画上映をスクラダノウスキー兄弟の功績はもはや忘れられている。
黎明期の重要な人物としてもう一人、フランスのアリス・ギイ(一八七三~一九六八)がいる。単なる記録映像ではなく、何らかの演出によって物語を与えられた「劇映画」の始まりはリュミエール兄弟の「水をかけられた散水夫」(一八九五年)であるという公式の歴史があるが、しかし同時期にアリス・ギイの監督による「キャベツの妖精」という作品も制作された。ギイはその後、一九二〇年頃までに約七〇〇本の作品を監督し、複雑な物語を表現する劇映画というジャンルの先駆者となった。ここで劇映画監督の本当の最初が誰であったかということは大きな問題ではない。リュミエール兄弟、あるいはその後のジョルジュ・メリエスを先駆者とする、つまりギイという女性を排除した映画史が語られたことが罪深いといえる。ギイは一九五五年、八〇歳でフランス・レジオンドヌール勲章を受賞したものの、その映画史上の功績が論じられるようになったのはせいぜい一九九〇年代以降のことであった。しかし現在でもその扱いは不当に小さい。二〇二一年時点では、日本語版ウィキペディアにはギイの項目さえない。
二、ヴァルダ、「女性映画」の多様性
第二次世界大戦後の重要人物として外せないのは、フランスのアニエス・ヴァルダ(一九二八~二〇一九)である。ヴァルダの長編デビュー作『ラ・ポワント・クールト』(仏、一九五五年)はフランス南部の小さな港町の人々を描いた小品である。下層の人々の生活を映し出すイタリア・ネオレアリズモ風のパートと、不毛な会話を繰り返す夫婦を描いたヌーヴォー・ロマン風のパートが無関係に同時進行する奇妙な構成は、現在では映画運動「ヌーヴェル・ヴァーグ」の始まりとみなされている。
もっとも、ヌーヴェル・ヴァーグの正史では一九五九年のジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』やフランソワ・トリュフォー『大人は判ってくれない』が画期的な作品とされ、『ラ・ポワント・クールト』の位置付けは後の評価による。ギイと同様、女性を排除した映画史が語られたことになる。しかしヴァルダは『5時から7時までのクレオ』(仏、一九六一年)、『幸福』(仏、一九六五年)といった重要作品を発表したこともあって、ヌーヴェル・ヴァーグのうち、理知的なドキュメンタリー風作品を特徴とする「セーヌ左岸派」の重要人物としての地位を確固たるものとした――さらに、後に「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」という、いくぶん問題のある呼称もつけられた。
ヴァルダは『歌う女・歌わない女』(仏、一九七七年)のような戦闘的なフェミニスト映画も撮ってはいるが、自身が「フェミニスト」あるいは「女性監督」として一括りにされることには戸惑いを表明している[1]。女性監督たちの作品はそれぞれに多様な魅力にあふれている。それはヴァルダ自身の多彩な作品が何よりも表している。「女性映画」を語るとき「女性ならではの繊細な感性」といったものを持ち出すのは陳腐であるのみならず、男性中心に作られてきた映画の作法から女性を周辺化することにほかならない。
二〇一七年、アメリカの著名映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインが女優たちに対して長年行ってきた性暴力が告発されたことをきっかけに、全世界的な「#MeToo」運動が起こった。映画業界がそれだけ男性中心の性差別的なシステムであることはアメリカだけでなく、フランスでも問題になった。二〇一八年のカンヌ映画祭でヴァルダは「女性監督」としての象徴的役割を引き受け、映画制作における男女の格差是正を訴えるデモの先頭に立った。この映画祭の最高賞パルム・ドールを受賞した女性監督はジェーン・カンピオン(『ピアノ・レッスン』、一九九三年)、そしてヴァルダの二人しかいなかった。カンピオンは陳凱歌との共同受賞、ヴァルダは長年の功績が称えられた名誉賞である。二〇二一年になってやっと、ジュリア・デュクルノー監督が『チタン』で単独受賞を果たす。
三、ライカートは『スター・ウォーズ』を観ない
この数十年、女性の映画監督は世界中で活躍している[2]。本稿では最後に、近年の重要監督としてケリー・ライカート(米、一九六四~)を取り上げたい。ライカートは『リバー・オブ・グラス』(米、一九九四年)でデビューし、その後『オールド・ジョイ』(米、二〇〇六年)、『ウェンディ&ルーシー』(米、二〇〇八年)、『ミークス・カットオフ』(米、二〇一〇年)などの傑作を世に送り出してきた。
ライカートの作品はその徹底したミニマリズムが特徴である。何気なく撮られているような横移動があまりにもしっかりと「決まって」いることに、構図のアートとしての映画の快楽がある。しかし逆にいえばそれだけだ。たいした事件はまったく起きない。ジャンルとしてはアメリカ映画に典型的な、そして「男性的」とみなされてきたクライム・アクション、ロードムービー、そして西部劇だが、それにふさわしい物語をまったく作らないという「失敗」によって、ジャンルの骨格だけを浮き彫りにしてみせる。
こうしたライカートの映画の「女性的なもの」がどのようなものか、即断はできない。ただ、注目すべき事情が一点ある。デビュー作『リバー・オブ・グラス』ではいまだ雑多な要素がその世界を彩っていたが、十二年のブランク(原因は女性監督であるがゆえの資金集めの難しさだったという)を経た後の『オールド・ジョイ』以降、徹底的に無駄が削ぎ落とされた映画になっていく。それは予算的な制約のためであり、またもちろん、映画的な洗練でもあるだろう。しかしライカートは各種のインタビューで[3]、興味深いことをほのめかしている。初期の映画を作る過程では、多くの男性スタッフが年若き女性監督にあれこれと「映画の作法」を講釈してきたようだ。その煩わしさから、信頼できる少数のスタッフのみに絞り込んでいったと。ライカートのミニマリズムはその結果でもある。
男性が若い女性にあれこれ「教えたがる」ことを「マンスプレイニング」というが、それは単に知識を利用した支配欲の表れではない。何が教える価値のある知識なのかを男性が構築する行為である。ライカートは『スター・ウォーズ』を観たことがないというが、それは権威的で男性的な映画作法の象徴として捉えられている。ライカートがそれを拒否していったことは、男性的に構築された知の組み換えであった。多彩な「女性映画」に何か共通のものがあるとすれば、まずはそうした知のあり方からの離反にあるだろう。
本稿は宇都宮市を中心とする映画サークル『映画好包』第1号(2021年10月)に掲載したものである(転載許諾済)。
注
[1] アニエス・ヴァルダ(相川千尋訳)「トロントについての覚え書き」『シモーヌ vol.4』(現代書館、二〇二一年[原著は一九七四年])
[2] 二〇二一年五月、うさぎやTSUTAYA宇都宮駅東口店にて、筆者は最近の世界の女性監督作品十本のセレクションを行った。次のブログ記事を参照。
https://tkira26.hateblo.jp/entry/2021/05/03/173711
[3] 例として、”Kelly Reichardt: the quiet American,” Sight & Sounds, 25 May 2021
https://www.bfi.org.uk/sight-and-sound/interviews/kelly-reichardt-first-cow