下野新聞「日曜論壇」に書いた小文です(転載許諾済)。
夫婦別姓や同性パートナーシップ制の動きに触れつつ、家族法のあり方について考えました。選択的「なのに」反発されるのはおかしい、ではなく、選択的「だから」反発されるという面を踏まえないと話は進まないのではないか、と思います。
画像の下にテキストと補足もあります。
家族から社会を構想する
家族が多様化しつつある。それに合わせ、家族を巡る法制度も変革を迫られている。
現在の日本法では婚姻時に夫婦どちらかの氏を選ばなければならない。これを夫婦同氏制といい、どちらの氏を選んでもよい。しかし現実には約96%の夫婦が夫の氏を選んでいる。氏を変えることによる仕事上の不利益や、長年親しんだ氏を変えることの苦痛が女性に一方的な負担になっていると指摘されてきた。
法務省法制審議会は1996年、婚姻時に別々の氏を選べる選択的夫婦別氏制(いわゆる夫婦別姓)の導入を答申した。しかし家族の一体感が失われるといった反発が根強く、実現には至っていない。
同氏制が憲法の定める「個人の尊厳と両性の本質的平等」に反すると争われた裁判でも、最高裁は人権問題としての訴えを退け、全国民的な議論の下、最終的に国会で決めるべきだとしてきた。
手詰まりが悲観されてきたが、2020年9月に就任した菅義偉首相は「政治家として責任がある」と述べ、導入に前向きな姿勢を示した。保守系議員の反発もあって難航が予想されるが、少子化が進む中での女性の活躍促進にとって重要事項であり、今後の進展が注目される。
いわゆる同性パートナーシップ制の導入も特筆すべき動きである。世界的にはここ数年、同性婚を認める国が大幅に増えたが、日本での議論はほとんど進んでいない。しかし、15年に東京都渋谷区と世田谷区で始まった地方レベルでの認定制度は大きな広がりを見せ、20年9月時点では栃木県内の鹿沼市や栃木市を含め、約60の自治体が導入している。
国レベルで動きにくい制度改革が地方で進んだのは、性的多様性の尊重が人権問題だという認識はもちろん、多様な人々を包摂する「まちづくり」の課題だと認識されたことも大きい。課題自体が多様に捉えられた結果だ。
しかし、家族制度を巡る議論には特有の難しさもある。
夫婦別姓の主張も、先祖代々の氏を使い続けたいという思いは容易に保守的な家族観に結び付く。「籍を入れる」という表現はまだ一般的だが、夫婦別姓や同性婚は戦前の「家」制度の名残である戸籍の延命と隣り合わせだ。
実生活の不便を解消すべきことは当然だが、一方で国家に認めてもらうことを家族の一体感や個人のアイデンティティーのよりどころとすることの問題もある。極端な話、個人単位の「個籍」化による戸籍の廃止や、婚姻時に新しい姓を創出する「創姓」といった案も検討されてよい。
「選択的」夫婦別姓にもかかわらず反対するのは「他人の自由が許せない」不寛容だとの指摘もある。だが、家族は社会の構成要素であり、社会の維持を目指して制度が作られてきた。家族は親密な関係の場であるだけでなく、経済や子育ての単位など多くの役割を持つ。だから元々、当事者の自由を超えた部分がある。
人権尊重という基本を踏まえつつ、多様な家族を出発点とする社会をどのように構想するかが問われている。