下野新聞・日曜論壇連載の最終回です。アメリカでの混乱をもとに、言論の自由と寛容のあり方について書いてみました。
不寛容の芽生えに警戒を
米国のトランプ前大統領は多くの問題発言で物議を醸した。指導者が会員制交流サイト(SNS)を通じて世界中の人々に直接発信するスタイルは、賛否はともあれ、新しい時代の政治を思わせるものではあった。
トランプ氏は退任直前、大統領選の結果を認めようとしない人々に対し米連邦議会への突入を扇動したなどとして、米短文投稿サイトのツイッターからアカウントの永久停止処分を受けた。それにより、氏の発言を検証することも難しくなった。
ツイッター以外でも、大手SNSはトランプ支持者のアカウントを次々と停止した。そうした人々が多く集まる新興SNS「パーラー」は、米グーグルや米アップルから表示を停止されたほか、米アマゾン・コムのサーバー利用を断られ、運営が困難になった。著名な情報企業がトランプ勢力の排除に向けて足並みをそろえた。
トランプ氏は「言論の自由」の侵害だと批判しているが、そうした人権は通常、私人から国家権力に対して主張されるものである。今回は逆に、国家権力の側が民間企業から声を奪われた形だ。
民間企業が「検閲」を行ったとしても、人々は他の好きな手段に乗り換えることができる。競争を通じた秩序形成が本来は望ましい。しかし現在、インターネット上のプラットフォームは寡占状況にある。検索サイトから排除されてしまえば、他の場所は存在しないのと同様になる。
今般のコロナ禍で、人々はネットを通じてどうにかつながりを保っている。しかしそのインフラを提供している情報企業が特定の価値観を排除し続ければ、人々の分断が進むだろう。それだけでなく、分断があることさえ見えなくなるのが厄介だ。利用資格の停止は最後の手段とするなど、明確なルール作りが必要である。言論の自由という憲法上の価値を守るためには、私企業の公正な競争条件を作ることも重要だ。
こうした背景には、芸能人や政治家が一度の失言で表舞台から追放される「キャンセルカルチャー」の広がりがある。少しでも嫌なものは見ないという不寛容が広まった結果だ。バイデン新大統領は「癒やし」を強調するが、それは意見の異なる人々を視界から消すことではないだろう。
一方、日本ではウイルス感染拡大に伴い緊急事態宣言が各地に再発令されたが、飲食店の営業停止や感染者の強制入院など、さらに強い措置を求める声が多い。マスクを正しく着用していない人や、多人数で会食する人への感情的反発も強まっている。国家による強制力を使ってでも、不愉快な人々を排除したいという思いが広がっていないか。
感染拡大を防ぐためには、そうした反応もやむを得ない面がある。重要なのは、そこでただ寛容になるべきだというお説教ではない。不寛容の芽生えに気付くことである。分断が見えなくなることは、分断そのものよりも深刻かもしれない。米国で起こった混乱はそれを教えてくれる。