tkira26's diary

吉良貴之@法哲学のブログ。

「法と法学の発展」『法学入門』(北樹出版、2019年4月)参考文献 (3)

2の続きです

4. 「近代法」のめばえ

さて、教科書の都合により、時代が1500年ぐらいすっ飛んで「近代」が始まります。そこはそういうものなのでご理解ください。すみません。

もちろん、ヨーロッパ中世の法思想にもいろいろ面白いものがあるので、いやそんなに飛ばされては困る、という方は自習してください。1つ選ぶとしたら、トマス・アクィナス神学大全』(翻訳で全45巻)かな(詳細はこちら)。

そんなに読めるわけないだろ、と思われるかもしれませんが、Q&A方式で案外読みやすいですし、法思想に関わる部分はそこまで多くありません。図書館の書庫に行って立ち読みして、こんな世界があるんだなあ、というのを知ってもらうだけでも有益だと思います。とはいっても入門的には以下のものなど。 

4.1 近代法とは

「近代」とは何か?というのも大きすぎる問いですが、少なくとも「法」的なことについて、『法学入門』では以下のように書きました。

① 宗教的権威からの国家の独立:16世紀の宗教改革以降、キリスト教世界はローマ・カトリックを頂点とする一元的秩序から、より分散的なものになり、代わって世俗の権威である国家の地位が上昇した。

② 領域横断的な商取引の活発化により、中間団体から解放された自由な「個人」が主体となった「市民社会」が形成されていった。

いわば、宗教的権威のもとにある有機体的な秩序から、「国家」と「個人」を確立することが、「近代」法思想の大きな課題だったと言えるでしょう。(38-39頁、強調と改行を追加)

といったところで、このあたりからは有名な思想家がどかどかと出てきます。高校の「倫理」の授業で名前を聞いたことがある人ばかりだと思いますが、まあ、大学に来た以上は、何を専門にする方でもこのあたりの本はざっと読んでおいてもらいたいところです。 

法の精神〈上〉 (岩波文庫)

法の精神〈上〉 (岩波文庫)

 
完訳 統治二論 (岩波文庫)

完訳 統治二論 (岩波文庫)

 
社会契約論 (岩波文庫)

社会契約論 (岩波文庫)

 

といったあたりが古典中の古典です。古典をいきなり読んでもなかなか入り込みにくいですので、できるだけ、問題関心をもって読んでもらいたいと思います。今回は「法思想史」がテーマですので、「法」というものがその思想家のなかでどう位置付けられているか、ということを意識すると、メリハリをつけて読むことができます

↑に紹介したものだと、ロックやルソーはそれほど分厚いものではないので、気軽に読んでみるとよいでしょう。もちろん、いろいろとわけのわからないところがありますが、それはそういうものだと思ってください。ただ、わけのわからないところでも、何か引っかかるな?と思うところがたぶんあると思いますので、そこは付箋でも貼っておいて、気にしておくといいと思います。後から読み返して「ああ、そういうことだったのか!」と思うのはだいたいそういうところです。

補:翻訳はどれがよいのか

こういう古典はただでさえそんなに読みやすいものではありませんが、さらに翻訳の問題もあります。翻訳の方針などによって、読みやすさにだいぶばらつきがあるのも事実です。一般的にいって、岩波文庫の翻訳はスタンダードになっているものが多く、訳語が定着していたりしますので、他の研究書と合わせて読むにあたっては便利です。ただ、逐語訳的なものが多いですので、読むのに骨が折れることもけっこうあります(原著と照らし合わせながら読むのが理想ではありますし、特に英語(英訳)だったらだいぶ安く手に入るので、チャレンジしてみるのもいいとは思いますが)。

最近は「古典新訳」もちょっとしたブームで、読みやすい新訳がたくさん出ています。「中公クラシックス」や「光文社古典新訳文庫」といったあたりが有名で、大胆に意訳して読みやすくする工夫をしているものが多いです。岩波文庫はちょっと硬すぎて無理、という方は、無理なものを無理して読んでも無意味ですので、他の訳を読んでみるほうがよいでしょう。

4.2 ホッブズリヴァイアサン

近代法」の典型的な思考法を示すものとして、「社会契約論」があります。法とか国家とかが存在しない「自然状態」を想定して、そこで人々はどんな社会秩序を作り上げるだろうか?というふうに考えるものです。↑で紹介したロック、ルソーもその代表的な論者です。

『法学入門』で取り上げたのは、社会契約論の最も典型的な思考を示したと思われる、ホッブズの『リヴァイアサン』です。

リヴァイアサン〈1〉 (岩波文庫)

リヴァイアサン〈1〉 (岩波文庫)

 

ホッブズは「自然状態」を「万人の万人に対する闘争」「人は人に対して狼」といった悲惨な言葉で描き出します。そこで死にたくないみんなは「自己保存」という利己的な欲求から出発し、契約して共通の国家権力を打ち立てる、という筋道になります。

この議論自体は有名なものですが、法思想史的にはたとえば、ホッブズがなぜそんな悲観的な人間観*1から出発しているのかといった背景を、ロックやルソーと比較しながら考えてみるのもよいでしょう。それは当時の時代状況と密接な関連があります。

また、現代につながる論点としては、自己保存、すなわち生命を守ることが社会契約の目的であった以上、国家が国民に「死」を命じることは契約違反となってしまう、という問題があります。

具体的にはたとえば、徴兵制や死刑に反対する議論がなされることになります。ホッブズの『リヴァイアサン』といえばなんだか絶対主義国家を擁護したとか(別にそんなことはないのですが)、どうも強面のイメージがつきまといますが、現代でいうリベラルな主張につながる側面もあったことは興味深いところでしょう。 

社会契約論(それに対する批判も含む)一般についての、わかりやすい見取り図としてはこの本がおすすめです。

4.3 立法の哲学

 ホッブズの「法」思想として見逃してはならないのは、その「コモンロー」批判です。「コモンロー」はイギリスに特有の法のあり方で、個別具体的な裁判を通じて積み重なっていく法の原理というところに特徴があります(イギリスは、地理的な遠さもあってローマ法の影響を比較的受けなかったと言われますが、その「精神」においてはローマ法的なものと共通している部分がかなりあるといえます)。

コモンロー的な判例法の原理の難点は、一般の人々にどうにもわかりにくいということです。限られた法律家集団だけがそれを知っていて、裁判になってみて初めてわかる、といったことが往々にしてあります。これでは人々はつねに「事後法」で裁かれることになってしまい、自由な行動ができません。ホッブズは国家の命令を「法」と考えましたが、そこには「法」の透明性を確保し、人々の自由を確保しようとした面があります。この主張を展開したものとして、以下の本があります。 

哲学者と法学徒との対話―イングランドのコモン・ローをめぐる (岩波文庫)

哲学者と法学徒との対話―イングランドのコモン・ローをめぐる (岩波文庫)

 

こうした「法の担い手」が誰であるべきか、というのも重要な問題であり、裁判モデルで考えすぎないことも大切であるといえます*2ホッブズはいわば「立法」を重視した論者だったわけですが、こうした発想(コモンロー批判、立法の重視)は、2世紀後に同じくイギリスで活躍した、ジェレミーベンサム功利主義思想によって体系化されていきます。ベンサム功利主義は「最大多数の最大幸福」というスローガンで有名で、いろいろと反直観的なアイデア(「パノプティコン」とか)と合わせて語られがちですが、第一に「立法の哲学」であったことを押さえておく必要があります。 

世界の名著 (49)ベンサム/J.S.ミル (中公バックス)

世界の名著 (49)ベンサム/J.S.ミル (中公バックス)

 

ベンサム本人の著作で読みやすい翻訳は残念ながらそれほどなく、すぐ読めるのは、この「世界の名著」に入っている「道徳および立法のための諸原理序説」ぐらいです。本書は功利主義思想を独自の仕方で発展させた J. S. ミルの代表作も収められていて便利ですが、古本でしか手に入りません(比較的多く出回っているので、古書に抵抗がなければぜひ入手してほしいのですが)。 

ベンサム―功利主義入門

ベンサム―功利主義入門

 

ベンサムの議論を丁寧に紹介したものとしては本書が便利です。 

怪物ベンサム 快楽主義者の予言した社会 (講談社学術文庫)

怪物ベンサム 快楽主義者の予言した社会 (講談社学術文庫)

 

ベンサムはいろいろと奇人エピソードがある人ですが、それを知るのも法思想史の楽しみのひとつです。本書は通常の功利主義思想の解説とはまた違った、多様な角度からベンサムという人を描いています。

 

(4に続く)

*1:ホッブズには『人間論(De Hommine)』(本田裕志訳、京都大学学術出版会、2012年)という著作もあります。もっとも、内容的には人間についての自然科学的な分析が大半です。一部に「自己保存」を最高の善とする記述があり、その点では『リヴァイアサン』とのつながりがありますが、より密接な関係があるのは『市民論(De Cive)』(本田裕志訳、京都大学学術出版会、2008年)のほうです。

人間論 (近代社会思想コレクション)

人間論 (近代社会思想コレクション)

 
ホッブズ 市民論 (近代社会思想コレクション)

ホッブズ 市民論 (近代社会思想コレクション)

 

*2:明治以降の日本法はドイツ・フランスを代表とする「大陸法」を主として受け継いだこともあり、書かれた法(法典)を法の典型と考える「制定法主義」の考えが強いといえます。したがって、立法モデルの法哲学を展開したホッブズベンサムの議論のほうがむしろ、理解しやすいかもしれません。実際、日本では明治時代にベンサムの著作が翻訳されるなど、早くから親しまれてきました(例として、島田三郎訳『立法論綱』(律書房、1878年明治10年]:NDL)、ほか憲法民法・刑法、および自然法についての翻訳あり)。

しかし、法思想史的にみれば圧倒的に、裁判を通じて積み上がっていく原理としての法という考え方が優勢であったといえます。現代でもイギリス・アメリカ系の法(英米法)ではその面が強いですので、日本法の感覚で考えていると思わぬズレが生じることもあります。