tkira26's diary

吉良貴之@法哲学のブログ。

法哲学講義「自由の概念分析」(1)

1. 法概念論に向けて

 では、始めます。今回で8回目で、ちょうど折り返し地点という感じですね。これまで扱ってきたのは「正義論」と呼ばれる分野で、たくさんの立場、たとえばリベラリズムとかリバタニアリズムとか功利主義とか、いろいろ紹介してきました。嫌いにならないでください。今回からはそれとはちょっと趣向が変わった話になります。これからやるのは「法概念論」と呼ばれる分野、要するに「法とは何か」を問うものです。

 「法とは何か」というのは法哲学にとって根本的な問題ですが、これだけだと問いがぼんやりしすぎていて、どう答えればよいかよくわからないですよね。なのでこの授業では、まずは法に関係するさまざまな言葉の実際の使われ方に着目していってみたいと思います。これは哲学的な言い方をすると「概念分析」と呼ばれるやり方です。で、今回は「自由」とは一体なんだろうか、という問題を扱います。

 自由っていうのは、法的にたいへん重要な概念であることは確かですけれども、案外、意味がはっきりしていない。もしかしたら私たちは同じ言葉でまったく別のことを言ってるのかもしれません。だとするとあんまりいいことではないですよね。みんなが合意できる定義はないかもしれないけど、少なくとも主要な対立点というか、ズレを整理して意識することはできると思います。今回の授業ではそれを目標にします。

  今回は「自由」について、次回は「権利」について、私たちが持っている言葉のイメージ、言葉の使い方を分析していくなかで、最終的に「法とは何か」という議論につなげていきます。ここではそれぞれの言葉をどんなふうに使う「べき」か、という問題が入ってきますので、これまで考えてきた正義論の議論とも密接な関連があります。

 たとえば、リベラリズムリバタリアニズムが重視する「自由」というのはそもそも何なのか。それと裏表になっているかもしれない「平等」とどう関係するのか。ロールズやドゥオーキンのようにスタート地点の平等を考えて、あとは人々の「自由」競争を尊重するのか。それともセンのようにcapabilities、実際にやろうと思えばできることという、結果まで含まれてくる平等、そして自由を考えていくべきなのか。こういう問題を議論するとき、そもそも各論者は「自由」という概念をどう使っているんだろう、ということも考えていくと、これまで扱ってきた正義論のいろんな論点について、また違った見方ができるはずです。なので、まったく違った話が始まったわけではなく、これまでとつながった話として理解してもらえるといいかなと思います。

2. 自由/不自由の問題と、そうでない問題

 では最初に、ちょっと変な項目が並んでいるプリントを配りました。これで何をするかというと、みなさんの自由の概念、ふだんの自由のイメージを洗い出してみたいなと思うんです。1番から5番まで書いていますけれども、こういう状況に置かれた人が「私は自由ではない」と言ったとき、それは「自由」という言葉の使い方として適切かどうか。そんなに難しく考えないで、直感的に「なんかおかしい」と思うかどうかでかまいません。最初に5分ぐらい時間とりますので、これをそれぞれ◯×つけて、簡単に理由を書いてもらえますか? ではお願いします。

【問い】
次の各状況に置かれたAさんが「私は自由ではない」と言ったとき、それは「自由」という言葉の使い方として適切かどうか(○×)、もし適切でないとしたらそれは別の何の問題か、考えるところを述べてください。

1. 強盗に銃を突きつけられているので、動けない。

2. 人を殺したいが、刑罰が怖いのでできない。

3.  お金がないので、高級レストランで食事ができない。

4. ベンチに変なでっぱりがあるので、眠れない。

5. 翼がないので、空が飛べない。 


 そろそろ再開しましょうかね。今日のテーマ、自由って、私たちは普通に使いますけれども、これっていったい何だろうかっていうことを、ちょっと突きつめて考えてみましょう。

 たとえば憲法で出てくる自由、いろいろとありますよね。表現の自由、信教の自由、政治参加の自由、人身の自由、などなど。これ、それぞれかなり違った意味の自由、人権といえそうな感じはしますが、でも、同じ自由という言葉を使っている。精神的自由と経済的自由といった分け方もある。これってなんなんだろう。何か共通するものがあるのか、それともどこかでずれているものがあるのか。自由の意味は一緒だけど、内容が違うだけなのか。それとも、自由という言葉そのものに多義性があるといえるのか。こういったことは憲法解釈論にも直結する話といえます。今回はそこを洗い出していきたいな、というのが、今日の授業です。

2.1 libertyとfreedomは違う自由?

 最初にちょっとね、小ネタから入っていこうかなと思うんですけれども。英語との比較をしてみましょう。自由って、英語だとなんですかね? はい、Aさん。

 学生A「なんでしたっけ、liberty?」

 はい、liberty。もうひとつあります。じゃああなた。

 学生B 「freedom?」

 freedomですね。自由っていう言葉、英語だと、libertyとfreedom、両方使います。これって、同じ意味でしょうか、それとも違う意味でしょうか。どうですかね? 違うって思う人、どれぐらいいる? ちょっとアンケート的に、当てないから手をあげてみてください……ええと、意外に多めですね。半分以上でしょうか。じゃあ、同じだって思う人。……あんまりいない。なるほど。

 なんでこんなこと聞いたかというと、よく説教好きのおっさんがね、「最近の若い者はfreedomとしての自由は重視するけれど、libertyとしての自由がわかってない。これはけしからん!」みたいなことを言うことがありますよね。そこで区別されている自由って、いったいなんなんだろう?と思いまして。違うって答えた人がそのおっさんと同じ自由の理解をしているかどうかはともかく(笑)、どういうイメージか聞いてみたいんだけれども。誰かいかがでしょうか?

 学生B「イメージとしてですけれど、freedomのほうは、いわゆる放縦というか。一方、説教おじさんの話でありましたけど。libertyのほうは、もうちょっと合理的なというか。合理的な範囲での自由。というイメージがあります。」

 freedomは放縦だけど、libertyには合理的な範囲がある。なるほど。他の方、いかがですかね? もう1人ぐらい聞いてみたいですけれど。どうです?

 学生C「そうですね、ほんとイメージなんですけど。libertyのほうは、権利を勝ち取る……的なイメージが強いです。あと、なんか「解放」ってイメージ。」

 なるほど、libertyのほうは、わりと積極的な意味合いが2人ともあるのかなって感じですかね。まあ、だいたいそういうイメージを持ってる人が多いかなと思います。よく言われることとしては、freedomのほうは、「放縦」って、難しい言葉が出てきましたけど、まるっきりのやりたい放題の自由がfreedom。それに対しlibertyはそうじゃなくって、何かもうちょっと有意義な自由。たとえば、政治参加するとか、権利を勝ち取るだとか、あるいは合理的な……つまり、十分な秩序のもとでの自由、というかね。単なるやりたい放題じゃなくて、責任ある自由ってとこでしょうか。「解放」っていうのも、市民権の獲得とか、一定の政治秩序への参加という面を考えればそれにつながるのかもしれません。こういう対比をするとしたら、「freedomとしての自由ばっかり追い求めて、libertyの自由はわかってない、これはけしからん」っていうのは、まあ納得するかどうかはともかく、意味のある説教かなとは思います。

 しかしここでね、ちゃぶ台をひっくり返すんですけれども、英語の使い方としては、この2つ、一緒なんです。freedomは古ゲルマン語、libertyはラテン語、まあこのへんは正確なことは難しいんですが、とにかく語源が違うだけで、言い換え可能な言葉なんですよね。だからわりと気分で言い換えることもたくさんあるんです。なので、英語の人にね、「おまえfreedomばっかりやっててlibertyわかってないな」って言ったら、それは不思議な顔をされてしまいます。

 これは単なる小ネタみたいなものですけどもね、もちろん、英語でもそれぞれを区別して使うやり方はあります。だいたいの傾向としては、さっき言ってくれたような、freedomはなんでもありの自由。一方、libertyっていうのは、もうちょっと積極的に政治とか、「権利をめぐる闘争」とか、何か有意義な活動に責任もって参加していく自由。そういう傾向は、英語の使い方としてもなんとなくあるのかなとは思います。でもそれは、ちゃんと定義してそう使うならいいですよ、ぐらいですかね。

 定義していなかったら普通は同じ意味です。ちゃんと定義せずに説教してくるおっさんがいたら、言葉の「本当の」意味を知っているように見せかけて自分の言いたいことを言ってるわけなので、そこは気をつけてください。「本当の自由」「本当の民主主義」「本当の愛」みたいな言い方がなされやすいのが特徴ですが、これはこの授業の最後に扱う「説得定義」の問題です。後でまとめますので、いまはそういうおっさんを頭に思い浮かべてもらうだけでかまいません。いやですか。

2.2 それは自由の問題ですか?

 最初の小ネタはそんぐらいにいたしまして。じゃあ、今日配ったプリント。せっかくなので、ひとつひとつ、最初に手をあげてもらおうかなと思います。最初はあてないので気楽に、1から5まで、◯×で手をあげてもらいましょうかね。自由・不自由っていう言葉の使い方として適切かどうか。「それって自由・不自由の問題じゃないんじゃない? もっと別の言葉で語るべき問題でしょ?」と思ったら×。「いや、それまさに自由・不自由の問題だね」と思ったら◯に手をあげてください。

 じゃあ1番。「強盗に銃を突きつけられているので動けない」。これ、自由という言葉のの使い方として、適切だと思う人。……これはほとんどかな。適切でない、×につけた人いる? ……これはさすがにいない。じゃあ、とりあえず全員でしょうか。全◯。

 で、2番あたりから多少あやしくなってくるかなと思いますが。「人を殺したいが、刑罰が怖いのでできない」。これが自由の問題だと思う人。……ぽつぽつ、ぐらいでしょうか。じゃあ、こういうのは自由の問題ではないと思う人。……8割ぐらいでしょうかね。◯2、×8ぐらいかな。

 じゃあ、3番目。「お金がないので、高級レストランで食事ができない」。これ、自由の問題だと思う人はどれぐらいですかね? ……あれ、これゼロ? そうなんだ、わりと面白いですね。全員×。

 4番。このへんから多少あやしく……大概あやしいんですけれども。「ベンチに変なでっぱりがあるので、眠れない」。よくね、最近の公園のベンチって、こんな形になってますよね(絵を描く)。このへんにこんなのがあったりね。これって、寝られないようにしているわけですけれども。こんなのがあるせいで眠れない。これは、自由の問題であるって思う人はどれぐらいですかね? ……あれ、いないの? そうなんだ。全員×かな? あ、あなた◯ですか。では1人が◯ね。ほか全部×。

 じゃあ5番目。「翼がないので、空が飛べない」。これは自由の問題でしょうか? これ、いなさそうですね。

 

 ええと、わりと傾向がはっきり分かれてきたかなあという感じがします。最初から詳しく見ていきましょうか。1番の、「強盗に銃を突きつけられているので、動けない」。これが不自由だ、というのは「自由」という言葉の使い方としておかしいわけではない。これは全員そうだったわけですけれども、その他は案外×が多いなあと思いました。自由の問題じゃなければ何の問題だろう、というのも考えていってみたいですね。

 じゃあ、それぞれ分析していってみたいと思います。1番は議論するところ、あるかな。「強盗に銃を突きつけられているので、動けない」。これは、「動く自由」がないと言っていいか。……多分これはそんな文句つける人いないだろうから、別にいいかね。じゃあ、ちょっと分かれた2番あたりから、議論を始めましょうか。

自由の内在的制約?

 「人を殺したい」、まあ憎いアイツがいると。けれども、殺しちゃったら捕まって刑罰を食らうと。だから「怖いのでできない」という場合、これは人を殺す自由がない、と言えるのか?ということです。◯が少数派で、×が多数派でした。どっちからでもいいんですが、どうしてそう思ったか聞きたいですね。……これどっちかと言うと、×のほうが言いやすいかなあと思うんですが、なんでこれは自由の問題じゃないと思ったのか、あるいは自由の問題じゃなくて他のこういう問題である、みたいなこと、いかがですかね? ……はい、あなた、目が合ったから、お願いします(笑)。

 学生D「あの、人を殺す自由がない……。人を殺すっていうのが自由じゃないっていうのは、そもそも人の自由を奪うことは認められないと思うので。この場合は、放縦っていう感じなのかなあと思います。」

 はい、ありがとうございます。人の自由を奪うのは自由に入っていない、だからそれができなくても不自由というわけではない、ということですね。これは自由の内容に着目した分け方といえますね。

 憲法の授業を思い出してほしいんですが、「公共の福祉」が人権を制約するというのはどういう意味かというとき、人権の内在的制約説って出てきたと思います。人権を制約するのは他の人の人権だけである、というものね。だとすると、自由も他の人の自由と両立する限りのものである、そういう内在的制約がある概念なんだ、といえるでしょうか。どうでしょうね。

 ほか、×の方からあれば。もう1人ぐらい、◯でも×でもいいんですけど、いかがです? ……じゃあ、◯に手をあげた人、誰か言ってくれませんかね。

 学生E「まあえっと、あの……。殺しちゃいけないですけど、人間、殺そうと思えば人を殺せるので、法律とかで縛ってあるんじゃないかなということで自由の問題だと思いました。殺そうと思えば殺せちゃうってところで、縛ってあるのかなっていう。」

 なるほど。自由の問題だからこそ、法で縛っているんだ、という感じでしょうか。逆にいうと、自由の問題じゃないことについて法で縛るとか、法的に責任を問うとか、そういうことはおかしいといえるかもしれません。刑法の責任論につながりそうで、面白い視点ですね。他の方いかがですかね? ……なければとりあえず先に全部見ていくことにしましょうか。

合理的な代替手段の存在

 じゃあ、3番、「お金がないので、高級レストランで食事ができない」。これ、自由の問題ではない、と答えた人が全員だったけれども。なんでだろうね? というか、これは何の問題なんでしょう? これ、僕はわりと不自由の問題な気がするんですけど。今日はお金がないから、ロイヤルホスト(仮)で豪遊するのをあきらめて、学食(仮)に行ったと。これめっちゃ不自由な感じがするんですけれども。どうでしょうかね?

 学生B「ええと、合理的な代替手段があるかどうかっていうのを基準にして、僕は1~5を考えたんです。たとえば高級レストランで食事ができないので、学食(仮)に行く。少し値段がお手頃なところで食事することもできれば、あるいは借金するなりお金持ちの友達を頼るなり、っていう選択肢も、別にそれ自体は阻害されていないので。代替手段がある範囲であれば、自由/不自由の問題にはならないんじゃないかなと。」

 なるほど、お金がないなら学食(仮)とかに行けばいいじゃない、というわけですね。そうすると代替手段がない場合って、たとえば……なんだろうね?

 学生B「この問題でいうと、たとえば「お金がないので食事がとれない」とかであれば、これは自由が侵害されているかもしれないです。」

 それは面白いですね。なんらかの合理的な代替手段があるかどうか。他はいかがでしょうか? とりあえず全部回してみましょうか。

自由をどれぐらいの範囲で考えるか

 4番目「ベンチに変なでっぱりがあるので、眠れない」。これ……せっかく◯に手をあげてくれた、さっきのあなた。

 学生C「僕が想像していたのは、この問題は、ホームレスの方々のことを指してるのかなあと思って。聞いたことがあるのが、ジェントリフィケーションっていう、町をきれいにしていくプロセスのひとつとして、公園のベンチとかを、ホームレスの方とかが眠れないように細工してるっていうのがあって。それはたぶん、ホームレスの方々から、その地域に住む自由を奪っているんじゃないかなって思って、自由の問題だと考えました。」

 これは単に寝る自由だけでなく、ホームレスの人が生活する自由、そういう全体の問題になってくるっていう、そんな感じかな。自由というのは「寝る」という行為を単体で切り出して考えても仕方なくて、もっと生活全般で考えないといけないものでしょうか。すごくいい問題提起ですね。ありがとうございます。

 ほか、4番は×がほとんどでしたけれども、誰かいかがでしょうか? いま書いてくれたことをそのまま話してもらえたらいいんですけれども。何か言ってくれたらこちらでふくらましますので、「変なこと言ったらどうしよう」みたいに遠慮しないでくださいね。

自由と公共性

  学生A「えっと、×にしたんですけど。わたしはそもそも、自由っていうものが、ある程度の制限のもとにあるんじゃないかっていうふうに考えて。たとえば、公共の福祉とか、さっきもちょっと出てたんですけど、人の自由を奪うのは自由ではないっていうふうにあったと思うんですね。で、わたしは自由っていうのを、自分の好きなように、一定の制限のもとでできるかどうかっていうふうに考えていて。この場合、ベンチで眠るっていうのを好き勝手にはできないんですけど、それが例えば……公共施設の、なんて言うんですかね、環境を保つというか。そういう、公共のものをどうするかっていう制限はあるかなというふうに考えて、その制限の範囲かなと思ったので、自由かどうかの問題ではないのかなというふうに感じました。」

 なるほど。自由っていうのは、ある程度の制限のもとで許されたものである。幅っていうかね。ベンチだと公園とかにあるわけだから、公共のものをどういうふうに扱ってよいかという問題であって、まあ座るのは自由でいいんだけれども、そこで本格的に寝られたら困る。これは自由の問題というよりは、公共性とはなんぞや、みたいな話になるっていうことかな。自由と公共性の関係ってね、なんか重なっているような、わりとずれているような、どうだろうね。さっきちょっと出てきた、有意義な、責任ある自由、みたいな考え方だと重なりが出てきそうですね。わりと難しい話になりそうですが、おもしろいので黒板に書いておきます。「自由/公共性」。これは、果たして対立するような概念なのか、どこか重なっているようなものなのか。

自由と可能性

 せっかくだから5番までやっちゃいましょうか。「翼がないので、空が飛べない」。これね、不自由じゃないですか? 全員×? これが×になるのはなんでだろうね? 翼がないので空が飛べないっていうのは、不自由じゃなかったら、これはなんなんでしょう? ……どうですかね。

 学生D「翼がないのに空が飛べないって、もし人間に翼が生えるっていうことがそもそも不可能なので。自由とかいう問題じゃないのかなあと。」

 人間にはそもそも翼がないんだから、自由とか不自由の問題じゃなくって、これは「可能/不可能」の問題だっていうことですね。きれいに分けてくれましたね。「自由/可能」という、また別の軸が出てきたかなと思います。これは同じものなのか、それとも違うものなのか。たぶん、どこか違いそうですけど、ちょっと考えてみたいですね。

 学生B「不可能だっていうのに加えて、僕がさっき言った、合理的代替手段っていうのを考えると、ハングライダーみたいに、翼で空を飛ぶのの疑似体験はできますよね。それである程度代替できるからいいだろう、というようなことが言えるかなと。」

 疑似体験も代替手段になる。じゃあ、ちょっと意地悪な質問をしてみます。脳をちょこちょこっといじって、あらゆる体験ができるようになる。本人は寝ているけれども。こういう場合って、代替手段なのかな?

 学生B「まあ……倫理的な問題はとりあえず置いておくとして。みんなが等しくそれにアクセスできる、アクセスする自由があるのであれば、そういうふうにして体験する選択肢があるのは自由といえると思います。」

 なるほど。SFみたいになるんですけど、「水槽の中の脳」って話があるんです。こんなふうに水槽の中に脳がぷかぷか浮かんでいると(黒板に絵を描く)。これに、いろいろな線をつなげて……。こんなマッドサイエンティストみたいな人がいじってる。あなたは、この水槽の中の脳です。いま、あなたたちは現実を見たり聞いたり体験しているけど、それは、ここに出てくるよくわかんない博士が、この機械をピピッとやって電流を出して、脳に刺激を与えている。実はそれだけのことだ……っていうね、こんな話があるんです。みんなが実はこの水槽の中の脳だった、そしてそれはとても自由な世界だ……って、どうですかね。なんかイヤだと思いますけど、これってね、そんなことはありえないと反論するのはすごく難しいんじゃないかなと思います。まあ、だからなんだってわけじゃないですけどね。こんなのがあるというご紹介です。


 で、いくつかね、面白いアイデアが出てきたかなと思います。もうちょっといろいろ出てくるんじゃないかなと思ったんですが、たぶん議論しているうちに「あっ」と思う人が出てくるかなと思いますので、何かあったら途中でも手をあげてください。 

(↓次回に続く)

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