tkira26's diary

吉良貴之@法哲学のブログ。

尾高朝雄と民主主義のためのノート (1)

 1948年から49年にかけて出版された文部省教科書『民主主義』は、平易な文体ながら、現代の民主主義理論にとっても示唆に満ちた記述があふれる書である。1995年には径書房から復刻版が出されている。復刻版で400ページ近いこの本は「教科書」ということで一般に思われるようなものとは程遠く重厚であり(初版時は上下二分冊であった)、形式さえ整えれば立派な学術書ともなりえたであろう。だから通読するにはそれなりにたいへんだが(もちろんその価値はあるのだが)、読みやすくエッセンスをまとめた新書も先日、出版されている

 日本国憲法が施行されてまだ間もないころ、これだけの民主主義理論が「日本発」のものとしてまとめられたのは銘記に値することである。また「民主主義」のあり方がきびしく問題になっている昨今、立ち返るべき原点としての重要性も高まっているといえるだろう。

  本書の成立には多くの人々がかかわっているが、最も重要な貢献をなした人物に法哲学者の尾高朝雄(1899~1956:wikipedia)がいる。具体的な執筆分担は明らかでないものの、本書の精神を見事に示す第1章「民主主義の本質」は尾高の執筆であるとされ、またその他のいくつかの章の執筆、および全体の文体の統一にあたっても尾高が主導的な役割を果たしたようである。他の著書で示されている尾高の民主主義理論と照らし合わせてみても、本教科書が全体として尾高の思想を色濃く反映したものであることは間違いない。

 しかし、尾高朝雄の一般的な知名度は現在のところ、どれほどのものだろうか。おそらく多くの人々がその名前を耳にするのは、憲法の授業で「尾高・宮沢論争」に触れられるときだと思われる。宮沢俊義は「戦後憲法学」を代表する学者である。ポツダム宣言の受諾によって日本は天皇主権の国家から国民主権の国家に移行したのだとする宮沢の「八月革命説」は*1、忌まわしき過去を断ち切った新憲法の説明として鮮やかで、進歩的な印象を人々に与えた。それに対し尾高は、国家の「主権」は天皇や国民に属するものではなく、正しい法の理念としての「ノモス」にあるとする「ノモス主権説」を唱えた*2。重要なのは正しい法による支配であって、その担い手が天皇であるか国民であるかは国家にとって本質的な問題ではないという。しかしこの「ノモス」という概念がいかにもわかりにくかったせいもあり、尾高の議論は明治憲法日本国憲法の連続性を強弁するものと捉えられ、しまいには宮沢によって「天皇制のアポロギア(弁明)」という不名誉なレッテルを貼られてしまった。

 現代の目から見れば、主権の在り処を問題にする宮沢と、主権の在り方を問題にする尾高はそもそも別のことを議論していたといえる。しかし、とにもかくにもこの論争で尾高は「負けた」ことにされ、反動の烙印を押されることになった。憲法の授業では大半このようなストーリーが語られるし、そんな「反動」の尾高にそれ以上の興味を抱いた者も決して多くはないだろう。

 しかしそうすると、ではなぜ忌むべき反動であるはずの尾高が『民主主義』のような教科書の責任編集的な役割を引き受けたのか?という問いが生じる*3。ありそうな答えとしては、これはあくまで「文部省執筆」の教科書であるのだから、尾高は当時の政府にとって都合のよい「御用学者」として振る舞ったのだろう、ということが思いつく。もちろん、文部省の意向を受けて作られたものである以上、そうした面がまったくないとはいえないかもしれない。しかし、それにしてはこの教科書は十分すぎるほどに「進歩的」であるし、また単に政府の見解を代弁するようなものではなく、尾高のオリジナルな民主主義思想がそこかしこに顔を出している。尾高は明らかに、新しい民主主義の伝道者としての役割を自覚してこの教科書の執筆に臨んでいる。

 この自覚がどのようにして生じたか。京城帝国大学教授としての戦時中の活動に「戦争協力者」として批判されるべき面があり*4、その反省から戦後は「進歩的」な役割を積極的に担うようになった、というのはわかりやすい説明であるし、そういった部分がまったくなかったわけでもないだろう。しかし本稿では、そういった動機の勘繰りは控えることとし、代わりに、法哲学者たる尾高の議論の延長上に本教科書『民主主義』のエッセンスが表れていることを論じてみたい。

 最初期の代表作『国家構造論』(1936年)では、法・社会・政治の意味的複合体としての国家のあり方に対する現象学的アプローチが示された。尾高はそこで、国家の機能(動態)と、それを可能にする構造(静態)との関係を、個々人の個別的な志向作用としての意味付け(ノエシス)と間主観的に共有される意味(ノエマ)の関係になぞらえながら記述していく。

 その議論は現象学の応用としてきわめてオリジナルなものであり、また、この構図はその後の尾高の法哲学において繰り返し変奏される。最終的にそれは『民主主義』で強調される、国家の民主的正統性の不可欠の条件である「表現の自由」の姿を与えられるだろう。いわば、意味づける政治活動と意味づけられた制度の関係として民主主義が捉えられる。

 本稿では以下、尾高のいくつかの代表的著作を読み解きながら、『民主主義』にいたる尾高の思考の道筋を追いかけていくことにする。なお、扱う文献は尾高の膨大な仕事のうちのごく一部であることをあらかじめ断らなければならない。また、伝記的事実への言及は言語的・資料的制約のため、ごく断片的なものにならざるをえない。本稿は尾高の初発の現象学的アプローチが後年の民主主義論に至るまでどのように維持され、どのように変容したのかという問題のみに関わっている――おそらくそれでも十分に大きすぎるテーマであるだろう。

*1:宮沢俊義「八月革命と国民主権主義」(世界文化1巻4号、1946年5月)、のち「日本国憲法生誕の法理」と改題・改訂のうえ、宮沢俊義憲法の原理』(岩波書店、1967年)に収録。

*2:尾高朝雄『国民主権天皇制』(国立書院、1947年)、手に入りやすい復刊として尾高朝雄『天皇制の国民主権とノモス主権論』(書肆心水、2014年)。

*3:やや異なった切り口の問題提起として、小田桐忍「法哲学者はなぜ文部省著作教科書の執筆に携わったのか――尾高論の新地平を切り拓くために」(実践女子短期大学紀要32号、2011年)。

*4:石川健治「コスモス――京城学派の光芒」(酒井哲哉編『岩波講座 「帝国」日本の学知 第1巻「帝国」編成の系譜岩波書店、2006年)、金昌禄「尾高朝雄と植民地朝鮮」(国際日本文化研究センター・国際研究集会報告書42集、2013年)