tkira26's diary

吉良貴之@法哲学のブログ。

「法と法学の発展」『法学入門』(北樹出版、2019年4月)参考文献 (4完)

3の続きです。

5. 「法典論争」と19世紀ドイツの法学

「法」が紙に書かれたものとして存在することは、現代日本の私たちにとっては当然のことのように思われますが、歴史的には必ずしもそうではありません。個別具体的な判断の積み重ねとしての法原理が法律家共同体になんとなく共有されているとか、各地でまったく異なった慣習法が使われているとか、そういった状況で、国全体で統一した法典を作るには多くの苦労がありました。 

法典という近代―装置としての法

法典という近代―装置としての法

 

専門的な研究書になりますが、本書はフランス民法典(いわゆる「ナポレオン法典」1804年)の編纂過程を通して、「紙に書かれた法」としての「法典」が、どういった意味で「近代法」を象徴するものであるかを詳しく見ていくものです。

5.1 19世紀前半の歴史法学

フランスの隣のドイツでは、こちらもドイツ全土に通用するような一般民法典を作るべきではないかという論争が巻き起こりました。これを「法典論争」といいます。急いだのが ティボー(1772~1840)、時期尚早だと批判したのが サヴィニー(1779~1861)です。ここではサヴィニーらに軍配が上がり、ドイツ民法典の編纂に向けては長い長い議論がなされることになります。

サヴィニーは19世紀前半のドイツを代表する法学者で、その立場は「歴史法学」と呼ばれます。簡単にいえば、法は民族精神をあらわしたものでなければならないとするものです。サヴィニー自身はそこでひねりを入れて、法学者によって受け継がれているローマ法がその基礎になると論じました。

それに対し、ドイツ各地の慣習法(ゲルマン法)を重視する側との議論が繰り広げられました。後者の有名人が ヤーコプ・グリム(1785~1863)で、あのグリム童話の人です。長く受け継がれている童話にこそ、民族の精神があらわれる、というわけですが、どうでしょうね。日本でそれにあたるものは何か考えられるでしょうか。 

本当は恐ろしいグリム童話 (WANIBUNKO)

本当は恐ろしいグリム童話 (WANIBUNKO)

 

童話って子ども向けということもあって、よく考えたらやたら怖いものがあったりしますよね。でものそのぶん、道徳的なメッセージが直接的な形であらわれている、ということもできるかもしれません。 

サヴィニーやグリムといった、19世紀前半ドイツの法学者たちはそれぞれ興味深いのですが、専門的な研究書はあるものの、一般向けに読みやすいものは残念ながらあまりありません。(1) で紹介した教科書の該当章が取っ掛かりになりますので、興味があればそこから広げていってみてください。 

法思想の水脈

法思想の水脈

 

第6講・屋敷二郎「中世ゲルマン法と歴史法学」、第7講・松尾弘「「概念法学」批判」 などがこの時代を扱っています。

忠誠と反逆―転形期日本の精神史的位相 (ちくま学芸文庫)

忠誠と反逆―転形期日本の精神史的位相 (ちくま学芸文庫)

 

補・西洋と日本の比較

まったく文脈が異なりますが、日本では、戦後を代表する政治思想史学者の 丸山眞男(1914~1986)が、「古事記」での世界創生の神話をもとに「つぎつぎとなりゆくいきほひ」とったものが日本人の精神の「古層」にあると論じています。『忠誠と反逆』に収められている「歴史意識の「古層」」は有名で、「日本人論」の古典のひとつとなっています。賛否両論わかれるものですが、知っておいて損はないものだと思います。 

日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)

 

丸山の著作でさらに有名なものとして『日本の思想』があります。これに収められている「「である」ことと「する」こと」 は、次に紹介するイェーリングの「権利は勝ち取るものである」という「する」権利観と、日本的な「である」権利観を対比する議論で、一時期の「近代主義」的な日本人論の古典のひとつです。西洋と日本を比較するにあたっての、ひとつの典型的な見方が示されているといえます。

5.2 19世紀後半の「法と社会」

上に紹介したサヴィニーやプフタらの歴史法学はやがて、後の世代によって「概念法学」のレッテルを貼られ、厳しく批判されることになります。要するに、法を「概念による計算」という浮世離れしたものと捉え、現実が見えていない、といった感じです。 

法学における冗談と真面目―法学書を読む人へのクリスマスプレゼント (日本比較法研究所翻訳叢書)

法学における冗談と真面目―法学書を読む人へのクリスマスプレゼント (日本比較法研究所翻訳叢書)

 

イェーリングは19世紀後半を代表する法学者ですが、ここでは前の世代の法学者たちが揶揄されまくっています。プフタなどは本当は各地の慣習法を重視する学者なのでそんな現実見てないこともないのですが、イェーリングによって戯画化されて、死後「概念天国」で楽しく暮らしていることにされてしまいます。たぶん、学園天国みたいなものでしょう。

こういうのはあまり品のいいものではありませんけれど、学説の移り変わりにはそういった世代間闘争的なものがどうしてもあります。まあ、師匠と同じことを言っても縮小再生産にしかなりませんから、あえて違ったことを言ってやろうという心意気?は大切なものかもしれません。といった感じで、19世紀後半ドイツの一群の法学者たちは、法が実際にはたらく場としての「社会」に目を向けるようになります。 

権利のための闘争 (岩波文庫)

権利のための闘争 (岩波文庫)

 

「権利」が現実の社会での「闘争」のなかで勝ち取られていくことを示した、イェーリングの真面目な本です。薄いのですぐ読めますが、以下の本と合わせて読むとさらに理解が深まることと思います。 

「権利のための闘争」を読む (岩波人文書セレクション)

「権利のための闘争」を読む (岩波人文書セレクション)

 

 ほか、この時期に「法と社会」の関係をリアリズム的に捉えようとした法学者として、「利益法学」のフィリップ・ヘック(1858~1943)、「法社会学」の創始者のオイゲン・エールリッヒ(1862~1922)、「自由法運動」のヘルマン・カントロヴィッツ(1887~1940)などがあげられます。

6. まとめ

そんな感じで、西洋法思想史上の基本的なトピックに関わる本をいくつか紹介してきました。アダム・スミスなどスコットランド啓蒙が抜けているとか、カントが出てこないのはどういうことだとか、不満をもつ方もいらっしゃるでしょうが、そういう方は既に中級者以上なので、勝手に勉強するようにしてください。

とりあえずここで紹介したものだけでも、「法」の捉え方には驚くほど多様なものがあることがわかると思います。それと比較することによって、現在ある日本法を相対化して理解するとともに、また新たな可能性に向けて開いていく想像力を養ってほしいと思います。